大阪市立桜宮高校などの全国の教育現場での体罰、柔道女子日本代表の前監督の、選手に対する暴力行為が告発されるなど、体罰が社会問題化している。
心理学的には暴力は、最も人の心を強く傷つけるもの。
問題となった桜宮高校のバスケットボール部の顧問の先生や、柔道女子の前監督は、どういう思いから体罰を行っていたのだろうかと思う。
もし監督や顧問としての自分の見栄や功名心から体罰を行っていたら、そういう思いは選手にも伝わると思う。同じ体罰にしても、選手への愛情からの体罰だとしたら、柔道の前監督は告発されただろうかとも思う。特に自分が教わった人を告発するということは、かなりの思いからだと感じる。
体罰は私が小学生のころ、30年近く前にもあったし、私も親から数回体罰を受けて育った。
体罰は決して認められるものではないと思うが、体罰がダメというよりは、愛情がない関わりが適切ではないと思う。よく、「愛」の反対のコトバは、「憎しみ」ではなく、「無関心」と言われる。親から褒められも叱られもしない子が、なんとか関心をひきたくて、わざと悪さをすることもある。
全く褒められも、叱られることもなく育った人がDVの加害者になることもある。
相手のことを思って叱るのか、
自分の功名心や見栄から体罰をするのか、
自分の感情をコントロールしきれずに暴力をふるうのか、
どういう思いから、相手に関わるかで相手の感じ方も大きく変わってくると思う。
自分が本来望んでいない方向に進まないよう、自分自身の心はいつも、まず自分がちゃんと見てやっていたいと思います。